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引退ブログ#8 網谷拓馬


 お世話になっております。87代スナイプリーダーを務めました、網谷拓馬です。私の4年間を振り返ると、今回のブログは至極難しいテーマだと感じられます。引退後再びこのテーマと向き合うこととなり少し苦しいです。しかしながら、今回の執筆も一種の責務であると感じますのでいい加減筆を走らせようと思います。主に最後の一年について、書きたいことを書くので暗い文章になるかもしれませんがご容赦ください。これを消化しないことには私は前に進めないような気がするので。


 まずは軽く今年の結果について私見を述べます。大会内容の詳細については過去のブログを参照していただけたらと思います。結果としては470級5位、スナイプ級3位、総合3位という大変に素晴らしいものでした。部内では何度も言われていることですが、今回の結果は真に総合力によって掴んだものだと考えています。安定的なスコアを出したレースメンバー、的確に風の情報を掴んだ沖サポート、一切の不備を出さない陸サポート。また、互いに競い合って高め合える練習環境や、安定感のあるレスキュー体制及び練習運営。これらが全て揃ったからこそ、非常に高い目標を達成できたのだと、そう感じます。

 さて、そんなチームで私はクラスリーダー且つ副将というポジションで1年間を過ごしました。インカレという場において私がリーダーとして、プレイヤーとしてどれだけチームに貢献できたのかは正直なところ分かりません。実際の所、出場したレースは1レースのみ、後はレスキュー上で仕事をこなしていました。当時は最も技術を持っていたとされた私がリーダーになったわけですが、結局のところ私は何者でもなかったようです。ただ、このことに関して私は全く悲観はしていません。勿論大成しきれなかった悔しさはありますが、総合として1つ結果は出たのでそこは、言ってしまえば何でも良いです。

 しかし、私たちはスナイプで優勝するという目標も掲げており、それが達成できなかったことはどうしても心に引っかかっています。結局、最後の最後まで個人としてもチームとしても勝ち切ることはできないままでした。

 ここからはプレイヤーとしての私とリーダーとしての私について、軽く述べさせて頂こうと思います。


 まずはプレイヤーとして。私は3年次、強風域限定ではありましたがレースメンバーとして当時のインカレ本戦の殆どのレースに出させて頂きました。上手くなっている自覚はありましたが、決定的に足りなかったものがあります。それは「自信」です。当時は1つ上の大山さんと乗せて頂いていたのですが、大山さんは言語化能力や思考量が本当に凄まじく、どこか引け目を感じながら乗ってしまっていたという部分は否めません。同じ未経験者であったはずなのに、良くない意味で崇拝してしまっていたのかもしれません。そのように自信がない状態だったからか、最後の最後まで満足いく結果は出ませんでした。インカレ本戦も容易く飲み込めるものではなかったですが、総合入賞を達成できたので私は納得しました。

 4年次になってからは同期の岡本とペアを組んで臨みました。でもインカレで結果を出していたにも関わらず、自信はないままでした。自信のなさがストレスとなり、ヨットを楽しめなかった時もままあります。故に結果が出るまでは遅かったです。それでも何度も話し合いを重ね、夏の全日本スナイプでは未経験ペアとしては大分いい成績を残せたと思います。最後にはまたスランプに陥ってしまうわけですが、それも今となっては思い出です。十全な実力を付けられたかは定かではありませんが、この場所でヨットができたことはとても幸せだったと、今となっては思います。


 次はリーダーとして。元々私はリーダーには何となく向いていないと思っていたのでやるつもりはなかったのですが、種々の事情で就任することになりました。繰り返しになりますが、何となく向いてはいないと思っていたので技術では一線を張れる人間でいたいと、そう朧げながら考えていたと記憶しています。こう言うと非常に消極的に思われるかも知れませんが、そんなことはありませんでした。やってやろうと言う気持ちはありましたし、未知の世界に対して不安を伴いながらも僅かながら高揚も覚えていました。

 蓋を開けてみれば、中々苦しい1年でした。詳細には述べませんが、あらゆる種類のストレスが大き過ぎて幾度となく体調を崩しながらも何とか走り抜けてきました。プレイヤーとしても上手くいった方ではなかったため、余計にきつかったのかもしれません。地獄など何度も見ましたし、何も考えられなくなったこともあります。


 先に私はリーダーには向かないと言いました。これは何故かと言うと(今だからこそ答えが出ていることではありますが)、私はきっと人を頼る、否、信頼することができなかったんだと思います。何なら、勿論例外は確実に存在しますが、今でも多くのケースにおいて私はそれがすごく苦手です。信頼というのは人は簡単に口に出しますが、私は、実はそれはかなり難しいことなんじゃないのかと、そう思っています。そもそも信頼とは何なのでしょうか。それはきっと「互いに互いの核に触れられること」です。私はそれが怖い。相手に核の部分を晒すのもそうですし、相手の核に触れるのもそうです。それ故より心を閉ざしてしまい、意思疎通を上手くできないことが多々ありました。しかしながら、集団の頭たる者はきっと、これが当たり前にできる人間でなければならないのです。こればかりは過去を振り返れば色々思うところはありますが、これがきっと、私が4年間で最もできなかったことなのだと思います。

 それがきっとチームで勝ちきれなかったというところに現れているのでしょう。私がこんな人間であったが故に、排外的な側面があったことは否めません。全員で勝ちを目指す環境を作れたかというと、きっとそんなことはないでしょう。それができていたら、より上の景色が見れたのかもしれません。また、この人間性は個人レベルの話にも効いてきていると思います。特に多くの時間を共にした大山さんや岡本とヨットに乗っている際(勿論他のスキッパーの方もそうですが)、自信のなさが故にもしかしたらこちらから十分な信頼関係を築くことができていなかったのではないかという気がしてならないのです。皆とてもいい人ですし、特に最終年でペアを組んだ岡本は1年の頃からずっと一緒にいて、一番心を許している人物です。それなのに、今でも等身大の自分でヨットに乗れていたかというと、簡単に首肯することはやや難しいです。ペア競技においては自信と信頼は表裏一体だと思います。自信があるからこそ、相手を信頼して自分の仕事をこなせる。これらを十分にできなかったことは、私は大いに後悔しています。


 そんな私でも、今は何とか4年間を終えることができていますが、それは偏に周囲のいろんな方々の支えによるものだと思います。何度も倒れそうになりましたが、幾度となく周りの方が手を差し伸べてくれ、少しずつ歩みを進めてくることができました。この点については本当に感謝してもし切れません。暗い話が続きましたが、部活を続けてきたことは後悔していませんし、リーダーになるという決断をしたことも後悔はしていません。前述のような心境から決して自分が結果の立役者だと思うことはできないけれど、それでも清々しい引退を迎えることができたのは非常に幸せなことだと思います。

 そして、それだけではありません。4年間で本当にいろんな方と出会うことができました。先輩方にはセーリング技術を始めとし、集団でいる上で大切なことなどを教わりました。沢山面白い話も聞かせて頂きました。そして、同期とは最も多くの時間を共にしました。永い時間の中で楽しい思い出も沢山できましたし、ぶつかり合ったことも沢山あります。そして後輩。可愛いですよね。君達には沢山元気をもらいました。勿論、君達に気付かされたことも多々あります。そして、顔の知らない、直接関わることがなかった方も沢山いるでしょう。そうした方々にも応援頂けるというのはとても幸せなことだと感じていました。たとえどんなに些細なことであったとしても、そうした1人1人と関わったことで今の私が形成されています。本当にお世話になりました。この4年間を糧にして、私はきっとこれから生きていけることでしょう。


 4年前に京大ヨット部の門を叩いた時は、当部は正に成長途上という面白いステージにいました。そして今、着実にさらに上のステージへと駒を進めつつあります。有り難いことに、今後も後輩達の成長に携わらせて頂けることになりました。京大ヨット部はこれからも躍進し続けてくれるでしょう。私はその過程を、これから見守っていきたいと思います。皆様も、今後ともご声援のほど、どうぞよろしくお願いいたします。


京都大学体育会ヨット部87代スナイプリーダー

網谷拓馬

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