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引退ブログ#10 古澤章太郎



平素よりお世話になっております。京都大学87代470リーダー兼副将を務めました古澤章太郎です。今回は引退ブログということで、僕の学生ヨット部生活においての頑張りの原点と色々あったこの1年間の振り返りを書かせていただきます。どうぞお付き合いください。


僕の同期は、3年前の西宮インカレの結果を自分たちの代でも実現したい気持ちて頑張ってきたと言う人が多いと思います。憧れの対象であり、かっこいいなと思いましたが、身近なようで遠い存在でどこか他人事でした。


僕の頑張りの原動力は、予選で大敗してしまった2年前のインカレの予選です。N旗によりレースが途中で中止された0レース目で後ろから2番目の順位を取り、その後行われた1レース目でも14位という不甲斐ない結果を取ってしまい、チームに悪い流れをもたらしてしまいました。結果として、予選4位で敗退し、自分の結果が足を引っ張ってしまったことは言うまでもありません。自分の実力がこんなものなのかと落胆したこと以上にコロナ禍で大変な中で機会を与えてもらったにもかかわらず、期待して面倒見てくれていた先輩方への申し訳なさが募りました。そこから、自分を世話してくれた先輩方は間違ってないことを示すために、ヨット部の活動に更にのめり込んでいきました。


代が変わってすぐは、昨年度のレースメンバーの少なさと1番艇スキッパーが自分であるという自覚のもと、狂気的な責任感で幹部の人たちと衝突することが多かったです。この時期、コロナ禍により十分な話し合いをするタイミングもなく、一方的な意見のぶつけ合いが横行しており、恥ずかしいことをしたと今は反省しています。僕のことをシカトせず、正面から向き合ってくれた一個上の先輩方には非常に感謝しています。特に奥山さん、大島さんとはよくぶつかりました、今ではある種のいい思い出となっています。あれがなければリーダーできる人間性は育ってないです。本当に感謝してます。


去年のインカレ予選は、スーパールーキーのリサを迎え、僕自身も1位を取るなど去年とは見違えるぐらい良い成績を取り、予選2通過することができました。そこで少し安堵してしまったのが良くなかったのでしょうか…蒲郡のインカレ本戦では4レース目まで、目も当てられない順位を取り続けて、5レース目はレスキューに乗ってました。今年度はリサと一緒にチームを引っ張るぞと思っていたのに、リサに引っ張ってもらうワンマンチームとなってて、不甲斐なさと申し訳なさで来年度のリーダーをやりたくないなぁとレスキューの上でぼんやり思ってました。しかし、6レース目で奇跡が起きました。得意としていた上ピン即タック(本部戦付近でスタートし右海面に向かうこと)で右海面に突っ込みました。そしたら風がみるみる右に振ったんですよ…面白いぐらいに…あの振れのおかげで7位でフィニッシュすることができて、全国でも走れるんだと自信を持つことができました。正直あの6レース目がなれけば今年度リーダーやれていたか怪しいぐらいには、僕にとっての大事な思い出のレースです。


そして僕らの代が始まりました。僕らの代は昨年度のインカレメンバーが4人いたこともあり、3.4番艇を強化すればインカレでも十分戦えるチームを作れるだろうと考えてました。しかし、そんな甘いもんではありませんでした。1,2番艇スキッパーと3,4番艇クルーを組ませたペアでは、同志社ウィークまでは調子が良かったものの、安定性に欠け個戦予選は全艇出れない結果となりました。3,4番艇スキッパーと1,2番艇クルーを組ませたペアも同様に調子が上がらず、安定して高い順位を取り続ける同志社大学、立命館大学に負け続けることが多くありました。僕自身も最後の全個を逃し悔しかったです。出たかったなぁと思います。


このままでは良い結果を取ることができないと考え、今年成績を取るための配艇として、去年のインカレペアに組み戻しました。しかしこれは結果が出ない時の最終手段としてあまり採用したくない配艇でした。というのも、この配艇では1.2番艇と3.4.5番艇の実力差が離れすぎてしまいお互いの競争意欲の喪失に繋がると考えたからです。そんな不安を抱えたまま、迎えた七大戦は古澤實松、抜井奈良の2ペアで出場し、470級・総合共に優勝という結果でした。正直取れると思ってなかったので非常に驚きましたが、この配艇にして良かったと心の底から思え、期待に応えてくれた僕以外の3人のメンバーとそれを受け入れてくれた470チームには感謝しかないです。


このまま団戦予選までいけるだろうと思っていた矢先、8月中旬に配艇変更しなければなりませんでした。詳細は省きますが、プレー続行が難しくなった部員がいたため、それに合わせた配艇変更でした。そこまで配艇の判断に対して論理的意味を持たせようとしてきましたが、その辺りからは判断材料になる結果の不足と、3.4.5番艇の実力の拮抗のため、"勢い"と言う主観的なものに頼りました。"勢い"は調子の良さとペアの雰囲気と言ったもので、僕の勘と言っても変わりありません。論理力の不足に疑問を抱く部員もいました。ヨットは頭を使って上手になるスポーツです。船のどこをどういじれば早くなるか、船をどこに進めればレースが有利になるか、全部頭を使って論理的に考える必要のあるスポーツです。ただ、僕はスポーツである以上は調子やパッションなどの精神論的な要素も大事だと大切だと考えていました。そのため、多少オカルト染みた主観的な配艇決めも大事だと思っていました。反対も多少ありましたが、最後には受け入れくれたメンバーには頭が上がりません。


そして迎えた予選は、同志社、立命館に続き3位で点差は34点、7点(7R中)でした。予選は1位との点差を3点/1Rに抑え、2位を取ることとしていたのですが、どちらも絶妙に達成できませんでした。しかし、内容としては1番艇の抜井奈良が艇順位3位の健闘、3〜5番艇は誰が出ても3番艇の役割を果たすことができており、本戦に向けて着実に力をつけているなと感じておりました。ただ、誰を3番艇として出すかをこの大会を経ても決めることができず、結局は本戦前日まで確定できませんでした。この頃はもはや全員3番艇と心の中で思いつつ、本人たちには伝えていなかったので、彼らはストレスフルな状態で最後の1ヶ月練習してたのかなと思います。ごめんね。


本戦直前にはB.B.マリンカップが開催されていました。B.B.マリンカップは、本戦に近い戦力のペア約80組が全国から集まっており、本番前の実力試しにもってこいでした。ここで抜井奈良が全体9位、古澤實松が全体13位の結果を取ることができ、チーム全体に入賞の可能性があることが明確にわかり、みんなわかりやすくテンション上がってた気がします。この一年ずっとパッとしない成績だった僕でしたが、最後に個人として嬉しい順位を取ることができ、去年できなかったリサと共にチームを引っ張るのもできそうだなと思ってました。


そして琵琶湖インカレの日になりました。インカレ特有の空気感が会場全体に漂っており、普段のハーバーとは違う雰囲気を味わいながら艤装を始めました。あの雰囲気自分は好きです。読み合わせや部員・レスキューの動きの確認・スタメンの決定など、なんだかんだ忙しくしていたので、その雰囲気を味わいきれず少し後悔です。緊張もしなかったので良かったかもしれないです。そんな中、4日間開催されたレースの結果は470級5位、スナイプ級3位、総合3位でした。正直「え、ほんまか?」と思いましたし、南野君と僕の船に上がる部旗を見ても実感が湧きませんでした。陸についてもケロッとしてました。船移動の誘導を率先して行なっていたくらいにはケロッとしてました。これは嬉しいよりも色々ありすぎたこの4年間を振り返るとやり切ったという感情が強く、どんな結果でも受け入れる姿勢を作りすぎたからかなと今では思います。どんな時もブレない冷静なリーダーということで許してください。(車で1人で感極まってたのは内緒)


僕としては激動の1年でそれだけでも楽しくやりがいもあったのに、27年ぶりの470級5位、41年ぶりの総合3位というどデカいおまけまで付いてきてびっくりしてます。ペアになってくれた赤城と實松、一緒にレースを戦ったスタレン・コーチ陣・マネさん、そして未熟な僕にも着いてきてくれた1.2.3回生のみんな、優秀な同期、誰か1人欠けてても達成できなかったと思っています。共に戦ってくれて、僕をリーダーでいさせてくれてありがとうございました。


重ね重ねになりますが、面倒見てくださった先輩方、一緒に成長し苦楽を共にした同期、僕なんかにも着いてきてくれた下級生、本当にありがとうございました。本当に人に恵まれた4年間でした。

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